2007年01月18日 09:08

夢は思わぬ時に‥

私は17才(未成年)の頃から
「キャバレー通い」をしていました。
お酒は、まったく飲めませんので
お客で行く訳ではありません。

従業員として裏口から入ります。
ボーイさんのバイトではありません。
私は今日まで音楽以外のバイト、仕事は
1日もやったことがありません。

そうなのです。
私は、バンドマンとして(未成年なのに)
場末のキャバレーから銀座の高級クラブまで
出入りしていたのです。
決して不良だった訳ではありません。
少しは変わり者でしたが‥。
「大いなる変わり者ね、あなたは‥」
(当時の美人ホステスさんの声)

今回は、その頃の楽屋の話です。
そして、
先日このブログに書いた(1月11日)
復活ライヴの楽屋話と関係してきます。

キャバレーは、今はもうなくなりましたが
40年前は東京にも沢山ありました。
新宿、池袋、錦糸町、赤羽などなど。

高校生の私は、背広にネクタイ姿で
いろんなお店に出入りしていたのです。
年齢は23歳ということにしていましたが
老けていた私は1度も疑われませんでした。

キャバレーにはステージがあり
ステージの前にはダンスフロアがあります。
ホステスさんとお客さんが踊れるように。

バンドは、ビッグバンド(16人ぐらい)と
コンボ(小編成バンド)が30〜40分ずつ
交代で演奏します。

どちらかのバンドが演奏中は、
片方のバンドは休憩時間です。

私は楽屋に戻るとジャズの曲集を開き
コード進行などを考えて勉強しました。

しかし、他のメンバーは違うのです。
ポーカーや花札をやっていたり、
競馬新聞を一生懸命に研究しています。
話す事といったら本当にくだらない話ばかり。

駆け出しの私は
プロの世界をよく知りませんでした。
当時の私は、プロというのは
「ステージでも楽屋でも
常に勉強している人たちのこと」
と思っていました。
しかし、現実はどうも違う。
私だけが浮いている。
その場の雰囲気に合わない。
勉強など「してはいけない空気」が
流れているのです。

当時の私は、
いつも自分に言い聞かせていました。
失礼な言い方ですが
「この人たちは二〜三流のバンドマンだからで、
きっと一流のミュージシャンたちは違う」と。

ここで急に話は変わります。
先日のテリー復活ライヴの楽屋話です。

一方的な質問攻めにあった私は
本当に嬉しかったのです。

「なぜ?」

あなたには、わかりますよね?

40年前から疑問に思っていた楽屋の雰囲気。
いいえ、違います。
40年前から理想と思っていた楽屋の雰囲気。
それが体験出来た喜びです。

私の長年の夢が実現した日になったのです。

夢や理想は、
なかなか実現しないと言います。
でも、
一つのことをずっと続けていると
いつか実現することもあるのですね。

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プロフィール
坂元輝(さかもと・てる)
「渡辺貞夫リハーサル・オーケストラ」で、プロ入り(21歳)。
22歳、自己のピアノ・トリオでもライヴ・ハウスで活動開始。
23歳、「ブルー・アランフェス」テリー・ハーマン・トリオ(日本コロムビア)
以後19枚のアルバム発売(現在廃盤)。
28歳、ジャズ・ピアノ教則本「レッツ・プレイ・ジャズ・ピアノ/VOL.1」
以後14冊(音楽之友社)現在絶版。
ネットで高値で取引されている?
(うそ!きっと安いよ)
他に、2冊(中央アート出版社)。
音楽指導歴60年。
プロから趣味の人まで対象に東京、京都にて指導を続けている。
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