2007年05月02日
作曲法あれこれ(3)
いろいろな作曲家の伝記を読んでみても、
作曲中の霊感について書いてある本は滅多にありません。
「滅多にない」のですが、実は「ほんの少しならある」のです。
その中の1冊を紹介しましょう。
「我、汝に為すべきことを教えん〜
作曲家が霊感を得るとき」(春秋社・2800円+税)
著者アサー・M・アーベル(音楽記者)が
クラシック作曲家(ブラームスなど6名)と
「作曲中の霊感について」対話したものをまとめた本。
前半(本文の約半分)は、ブラームスとの対話。
(1896年の晩秋、3時間の会話を速記者に記録させた)。
まず始めに、ブラームスが
大作曲家について語った部分を引用します。
♪「ベートーヴェンは、着想は神から来ると断言した」
(4ページ10行目)
どこでどのように断言したかは、4〜7ページを参照。
この本とは関係なく、私がいつも思っていること。
耳が不自由で「第九」のような永遠不滅の曲を作れるだろうか?
耳が聞こえる多くの作曲家でさえ、
未だに「第九」以上の傑作を書いた人はいない。
物質的な耳は聞こえなくても、心の耳は聞こえていた。
つまり、霊感による音楽は充分に聞こえていた
と考える方が納得出来る。
これこそ本当の「神がかり」状態。
さらに、ブラームスは言う。
♪「これはモーツァルトの作曲法でもある」
(9ページ終りから2行目)
モーツァルト自身の言葉は、
訳注、第1章[12](238〜9ページ)
「全体が、ほとんど完全に仕上がった形で心に浮かんでくる」
(訳注、239ページ上段7行目)
「何もかも、全部いっぺんにきいてしまう」
「夢の状態で起る」
訳注では、この文章を引用したのは
参考文献の273〜4ページと書いているが、
現在は「モーツァルトの手紙」吉田秀和編訳、
講談社学術文庫(306〜314ページ)に全文。
訳注では省略された部分、また全体の流れがよくわかります。
引用部分は、309ページ2行目から。
実はこの手紙、「偽作」とされているらしいが、
これを書いた人は創造過程をかなり理解している人物。
私としては「本物」「偽作」関係なく、
作曲中の霊感について上手く表現している文章として評価します。
さて、ブラームス本人の証言は次回に引用しましょう。
作曲中の霊感について書いてある本は滅多にありません。
「滅多にない」のですが、実は「ほんの少しならある」のです。
その中の1冊を紹介しましょう。
「我、汝に為すべきことを教えん〜
作曲家が霊感を得るとき」(春秋社・2800円+税)
著者アサー・M・アーベル(音楽記者)が
クラシック作曲家(ブラームスなど6名)と
「作曲中の霊感について」対話したものをまとめた本。
前半(本文の約半分)は、ブラームスとの対話。
(1896年の晩秋、3時間の会話を速記者に記録させた)。
まず始めに、ブラームスが
大作曲家について語った部分を引用します。
♪「ベートーヴェンは、着想は神から来ると断言した」
(4ページ10行目)
どこでどのように断言したかは、4〜7ページを参照。
この本とは関係なく、私がいつも思っていること。
耳が不自由で「第九」のような永遠不滅の曲を作れるだろうか?
耳が聞こえる多くの作曲家でさえ、
未だに「第九」以上の傑作を書いた人はいない。
物質的な耳は聞こえなくても、心の耳は聞こえていた。
つまり、霊感による音楽は充分に聞こえていた
と考える方が納得出来る。
これこそ本当の「神がかり」状態。
さらに、ブラームスは言う。
♪「これはモーツァルトの作曲法でもある」
(9ページ終りから2行目)
モーツァルト自身の言葉は、
訳注、第1章[12](238〜9ページ)
「全体が、ほとんど完全に仕上がった形で心に浮かんでくる」
(訳注、239ページ上段7行目)
「何もかも、全部いっぺんにきいてしまう」
「夢の状態で起る」
訳注では、この文章を引用したのは
参考文献の273〜4ページと書いているが、
現在は「モーツァルトの手紙」吉田秀和編訳、
講談社学術文庫(306〜314ページ)に全文。
訳注では省略された部分、また全体の流れがよくわかります。
引用部分は、309ページ2行目から。
実はこの手紙、「偽作」とされているらしいが、
これを書いた人は創造過程をかなり理解している人物。
私としては「本物」「偽作」関係なく、
作曲中の霊感について上手く表現している文章として評価します。
さて、ブラームス本人の証言は次回に引用しましょう。
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